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  • 2015.06.09 Tuesday
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植田正治



植田正治に興味を覚えたのは写真集『童暦』(わらべごよみ)を見てからだった。
1955年から70年にかけて撮影され1971年に出版さた山陰の風土や自然を背景に人々の姿を捉えた一冊である。
古びた港、海沿いの小道、祭りや行事、無邪気に遊ぶ子供達の姿、山村に暮らすごく普通の人々の姿…そんな古き日本の田舎町の風景が郷愁を誘う。
今となっては大変貴重な風景である。
写真の有り難味を感じる。

植田正治の写真は被写体との距離感が絶妙だ。
近付き過ぎず離れ過ぎず、足す事も引く事も不要な絶対的な距離感が其処にある。

そして、植田正治と云えば、砂丘に人を配して撮影された写真が余りに印象的だ。
“植田調”と称されたあの“演出写真”は見事としか言いようがない。
海外ではローマ字書きで“Ueda-cho”と記され好評を博した。
とは云うものの「植田調」と云う言葉には当初揶揄が込められていた。
演出写真と云うものが軽んじられていたからであろう。
演出が見えてしまうと如何にしても軽い写真に見えてしまう。然し、植田正治の写真は単なるユーモラスな写真に留まらなかった。
植田正治の写真は傑出していた。
絶妙な距離感、其れは、撮影者と被写体の距離感だけでなく、植田正治の言葉にもある「僕は子供の世界を撮ろう。子供の世界を表現してやろうというのはない。僕はあれは物体として使っていますから」と云うこの趣旨の徹底した距離感も存在していた。

そして、暗室作業にも徹底的な拘りを持っていた。プリントが気に入らないと次の日にもう一度焼き直し、其れでも気に入らないと、翌日にまた焼き直すと云った具合に納得が行くまで何度も焼き直していた。
空の雲が気に入らなければ其の雲を取ってしまう。雲の部分を焼かないとその部分が白くなる。其処に複露光を施し全体のトーンを少し被らせる。白光露光を施し納得の行く写真に仕上げた。植田正治の写真には暗室作業の演出も存在していたのだ。
植田正治は「写真する」と云う言葉を使っていた。撮影だけでなく撮影後のプリント作業も含めて「写真する」のであった。
丹念に「写真する」事へ拘りが植田正治の写真に深みを与えたのだ。

「写真する」植田正治の拘りと云えば、自らをアマチュア写真家であると名乗った事、生地の山陰を離れず、生涯写真を撮り続けた事である。
山陰の自然の中は植田正治にとって最も安心して「写真する」事が出来る場所であった。

砂浜や砂丘を舞台に家族や少年少女を撮影した写真は何度見ても色褪せない深みを感じる。
これらの斬新なアイディアの写真が1930年代に撮られている事にもまた驚きを覚える。
時代や国境を越えて今も尚、好評を博する植田正治の写真にはただただ感服するばかりである。

今後、植田正治の作品はもっともっと評価されるべきであると願うばかりだ。


■ 植田 正治(うえだ しょうじ、1913年3月27日 - 2000年7月4日)
鳥取県西伯(さいはく)郡境町(境港市)の履物店の次男として生まれる。
植田正治が初めてカメラを手にしたのは1929年、父親に買って貰った国産のベスト判カメラだった。
翌1930年には友人からパーレットを購入。
更に東京の美術学校への進学を諦める代りにドイツ製テッサーF4.5付きピコレット(ベスト判)を買って貰う。
後に、ローライフレツックス、ライカを手にするなど、様々な機種を使いこなしていた。
1931年「浜の少年」でアルス社の雑誌『カメラ』(12月号)に初めての入選を果たす。
後、月例コンテストに精力的に応募。
1932年に上京、オリエンタル写真学校に入学。
東京での写真修行を終え帰郷。19歳の若さで自宅で営業写真館を開業。生家の一部を使い営業を開始。
1947年からは写真材料店も併業。
1949年『カメラ』編集長・桑原甲子雄の企画で土門拳、緑川洋一、石津良介らと鳥取砂丘での競写が行われた。
1972年米子市東倉吉町に「植田カメラ」を開業。其の三階に「ギャラリーU」を開設。
1983年以降、雑誌や広告の世界でも活躍。植田流のスタイルは其処でも貫かれた。
80年代からファッション写真シリーズ「砂丘モード」を発表。フランスをはじめ海外でも評価を博す。
2000年7月4日逝去。

東京夢譚 / 鬼海弘雄



東京夢譚


「場所の肖像写真」であるこの写真集。
東京を中心とした無人の寂れた路地裏風景が6x6の中判カメラで切り取られ、正方形のモノクロ写真で構成されている。
人々の賑わいの無い無人の風景が展開され、其の中に一層強い寂れを感じる。
其の寂れの中に嘗て盛んであった営為が感じられる。

人物写真で構成された『ぺるそな』の裏面を覗く感懐がある。
『ぺるそな』は冒頭と巻末に無人の「場所の肖像写真」が使われていたのに対し、『東京夢譚』は冒頭に浅草のヌード女性、巻末に子供の肖像写真が使われている事からも『ぺるそな』と『東京夢譚』が対になっている事が解る。
『ぺるそな』そして『東京夢譚』、この二冊は丸でリバーシブルのようで興味深く見るこ事が出来る。

東京欲望 / ベン・シモンズ 〜Ben Simmons “TOKYO DESIRE”〜

 絶対非演出のリアリズム写真への拘りが私にはある。演出無しのスナップショットのみで構成された写真集作品が見たいと常日頃から思っている。然し、其れに匹敵する作品は極少である。
 そして、年々本屋からは写真家(写真作家)の写真集の数が減っていると実感する。先ず、リアリズム写真、スナップショットへの評価が低く人々の関心も薄い。其の結果、リアリズム写真を撮る写真家も世に出辛くなっていると感じる。そんな現状だからこそ、リアリズム写真が見たいとより強く思うのだが、本屋に並ぶ写真集には演出写真だったり、リアリズムとしては一寸浅薄なスナップショットだったり、如何にも首肯しがたい作品ばかりだ。又、悲観すべき事に、そういった作品が評価され話題になる。一寸変わった視点の写真などが注目されてしまう。そういった傾向に対し遺憾に思うばかりだ。遡っても、奥深いリアリズム写真へ過小評価には辟易するばかりだ。
 ベン・シモンズの『東京欲望』“TOKYO DESIRE”、これもまた秀作であるにも関わらず、一寸評価が低かったと感じる。多少の評価はあったが、これはもっと賞賛されるべきではないかと感じる。これは完全に傑作の域に達しているが、人々の評価は低いと感じてならない。

 私が初めてプロの写真家の凄腕に舌を巻いたのは、後藤田三朗の『写真機無音(カメレオン)』を見た時だった。一体どれだけ骨を折ればこれだけの写真を集める事が出来るのだろうかと感服するばかりであった。
 そして、豊原康久の『Street』にも目を見張るリアリズムがあった。
 これらの写真からは人間が隠し持つ狂気が見え隠れするような緊迫感を覚える。 

 そして、 ベン・シモンズの『東京欲望』“TOKYO DESIRE”だ。上記の2作品は黒白写真であったが、『東京欲望』はカラー写真で構成されていた。リアリズム写真、完全スナップのスタイルだが、1ページに写真を2枚ずつ並べ、見開きで4枚が並ぶ「ディプティック」(diptych)と云う手法を使っている。これは後藤田三朗に通じるものを感じる。

 『東京欲望』…有り勝ちなタイトルで際立つものではない。『東京〜』と付く東京のスナップ写真集はゴマンと存在している。「東京写真」、「スナップショット」と云う軽視されがちな2つのテーマが入っていながらも、完成度の高い作品に仕上げているところは圧巻である。
また、外国人が覗いたニッポンと云った有り勝ちな視線も無いところが良い。
これは東京写真の最高峰、スナップ写真の傑作と云っても過言ではない。



 ベン・シモンズはジョージア州コロンバスで生まれ育った。
教職を辞め日本へ遣って来た。其の時、知っている日本語はコンニチハ、アリガトウ、トヨタの三つだけだった。
東京に住み、東京を歩き回り、撮影の日々を送る。
「数千枚にもなった東京の写真を整理していた時、ライトボックスの上に無造作に置かれた2枚のカラースライドが、一組みのディプティク(対)のように並んでいるのに気づいた」
其のディプティックに触発されて、他のディプティク捜しに取りかかる。
ペアとなった写真たちは互いにコミュニケートし物語を創造する。
直感とイマジネーションの混合物にファンタジーの味付けも入る。其々の組み合わせに様々なな解釈や関連付けが出来る。
ディプティックの誕生から、視覚的な俳句集ともいえる『東京欲望』“TOKYO DESIRE”を作り上げた。

 ベン・シモンズは其の後も日本に住み続けているそうだ。2006年11月、テレビ番組にベン・シモンズが出演していた。神奈川県横須賀市の自然に囲まれた古い木造の日本家屋に住んでいる様子が流れた。
 其の後の活動の詳細は不明だ。『東京欲望』であれだけの作品を残したのだから、もっと精力的に写真集を出し続けるのだろうと予感していたのだが、際立った活動が見えない。
 都会の喧騒を離れた生活をしている事から、『東京欲望』のような喧騒に入り込んでの作品はもう撮ってはいないのではなかろうかと邪推する。
 『東京欲望』以外のベン・シモンズの写真もまた素晴らしい。商業写真の世界でも活躍をしているそうだ。


メメント・モリ / 藤原新也



「墓に唾をかけるのか。
  それとも、花を飾るのか。」

力強く語りかけて来る言葉と写真。
無駄な説明は一切無い。
「写真」にも「言葉」にも「力」を感じる。
この本には「表現力」が漲っている。
写真の上に言葉が乗っている。其の相互作用が実に見事だ。
ページを捲る度に昂揚する。

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」とキャプションが付けられたガンジス川とジェムナ川の合流地点アラハバードで撮られた写真は初期の藤原新也作品として名高い。
人間の死体の足に噛み付く犬。其の光景は残酷であり滑稽だ。

「この本は汚れれば汚れるほど良い」
「汚れれば汚れるほどそれは独自の個性を持った本となる」
と云う著者・藤原新也自身の言葉通り、私はこの本を度々手にして何度も捲っては読んでいる。

メメント・モリ』は読めば読むほど味が出る。

【送料無料】 メメント・モリ / 藤原新也 【単行本】


ぺるそな / 鬼海弘雄



ぺるそな
2005年10月20日初版

2003年に上梓された『PERSONA』の普及版として、何点かの写真を差し替え、新たな写真を追加して、再編成されたものである。

浅草にて名も知らぬ一般の人々を写した肖像写真集。
浅草寺境内が吹きさらしのスタジオとなり、朱塗りの壁が人物のバックに使用されている。
写っている人は一癖も二癖もありそうな個性的な人ばかりである。
流行りを取り入れたファッションとは全く以って異なる独特のファッションをしている人々が写し出されている。
実際、浅草に足を運べば感じる事だが、浅草を歩けば個性的な独特のニオイを持った人度々が目に入る。浅草特有のオーラとでも云ってよいであろうか。其の人生もまた独特であろうと感じられる。
この写真集には其の独特のニオイが凝集されている。
そして、写真一枚一枚に添えられたキャプションが興味をそそる。
1973年「三十二年前、浅草で撮った写真」から始まり、「遠くから歩いて来たという青年」「膝が痛くなったと嘆くひと」「二十八年間、人形を育てているというひと」「七年前、五人のうち四人が死んだ交通事故で生き残ったと語るひと」「四十八回、救急車で運ばれたと語る男」「日にちを間違え、花火大会だと思って来てしまったという男」「花粉症かとつぶやくひと」「なかなかシャッターを切らないことに、舌打ちをする人」など、撮影者が被写体の人物へ接触し撮影へと至る過程を想像させてくれる。

「たくさんの衣装を持った女性」が幾度も登場している。恐らく浅草通いの常連と思しき人だ。撮る人と撮られる人の関係と云うのもまた不思議なものである。カメラを用いる事でこの関係が生まれる。カメラを介さない関係よりも深い関係が築かれてしまうのではないかと思う。カメラは時空を超える。

写真は写っているものが全てだが、其れよりも深い味わいを感じさせてくれる写真こそが面白い。この写真集には其れが詰まっている。写真が語っていると感じずにはいられない。
其れは撮影者の捉え方と写された人物との相互作用から生まれるものだろう。
見方によっては不気味にも見えてしまう人々、其れを正面から捉える事で関係を成立させ、安心感が生まれる。この関係性も味わい深い。
撮る側と撮られる側の距離感もまた絶妙だ。決して媚を売る事もなく、決して妥協する事もない両者の間に趣を感じる。

この写真集は人物ポートレイト集であるが、冒頭の二枚と最後の一枚は、無人の風景が写されている。
冒頭一枚目は、齧りかけの林檎が描かれた扉に南京錠が掛けられている。二枚目は、民家の二階窓に干された布団が窓全面を覆っている。其の一階手前は駐車場。其処に二台の車がカバーを掛けた状態で駐車してある。何れも閉ざされた風景だ。

最後の一枚は無人の路地が右に急カーブしていて先は見えない。道の両側は風穴一つないブロック塀、建物に窓は無い。
これもまた閉ざされた空間のようだ。
閉ざされた扉、閉ざされた窓、カバーで覆われた車そして、先の見えない道。
丸で何かを啓示しているかのようだ。
撮影者にはどんなメッセージがあるのだろうか?
見知らぬ人々に声を掛け、撮影の許可を得て、写真が成立する。
其れは丸で禁断の扉を開けるが如く、何が起こるか解らないパンドラの箱なのかも知れない。
扉を開ける緊張感と開けた後の妙な安堵感…其の二つを写真によって成立させていると感じる。


posted by Takashi Sataiya (ทาคาชิ สทัยยา)

写真機無音(カメレオン) / 後藤田三朗 



「写真機無音」と書いて「カメレオン」とルビが振られたこの写真集。
サブタイトルは「Chameleon 1979-1982 by Mitsuo Gotoda」
1983年1月25日初版発行。
出版は青弓社。

この写真集と出会ったのは今から20年程前。
本屋でただ何となく手に取った一冊だった。
取り分けタイトルに惹かれた訳でもなかった。
「カメレオン」と云うタイトルから自然や動物などの写真集かと思ったが、全くそうではなく、町のスナップ写真であった。
“スナップ写真”と云って侮る人も多い。私も其の一人であった。スナップ写真と云えばカメラを持ち、ぶらぶらと街を歩けば其れなりに撮れてしまう軽いものだと思っていた。然し、この写真集を見て其の考えは一変した。この写真集は私が今まで見て来た写真集とは大きく違っていた。別格と云うべき秀逸なスナップショットが展開されていたのだった。
私の侮りはこの1冊によっていとも容易く消沈せしめられたのだった。
一見何でもない街の一コマで構成された写真集であるが、其の一枚一枚を凝視してみれば、徒ならぬ光景が其処に写し出されている事が理解出来る。

当たり前過ぎて取り分けて気を留めず見逃してしまい勝ちな瞬間が写真家の写真機によって切り取り収められ、印画紙に焼付け無音の写真となる。
人々の行動は時に滑稽だ、見方次第で狂気すら垣間見る事が出来る…とそんな感想を持った。

この1冊に収められた一枚一枚の写真に徒ならぬ趣と興味を覚えた。
周囲の状況や感情により素早く体色を変える“カメレオン”。人々は皆、群集の色に染まるカメレオンのようだ。
体色を変えても一台のカメラ、一己の写真家により暴かれてしまう。撮影者自身もカメレオンと化し、撮影しているのだろう。
「無音」は音の無い写真其の物をイメージ出来るが、聾唖である撮影者の後藤田三朗氏にも繋がりがあるのだろう。
私はこの1冊の写真集にすっかり魅せられてしまい、この写真集の虜となり大いに感銘を受ける事となった。

写真機によって切り取った群集の一コマ、そして、一枚一枚異なる場所で撮られた写真が並べられ展開される妙な繫がり。左右が対の関係となり、相乗効果が生じる。事件にならない事件が其処に暴かれるが如く。
一方で事件が起きているが、他方には素知らぬ顔の人々がいる。此方(こちら)の世界と彼方(あちら)の世界を同居させ一つのスクリーンに収めてしまう写真のマジックである。

この写真集が出版されたのは1983年1月。撮影期間は1979年〜1982年。
ヘルメットを被った機動隊のデモ行進、時代を感じさせる水着のデザイン、立小便をする中年オヤジ達…など其の時代が垣間見られる写真集でもある。
この一冊との出会いが、私にとっての写真への興味の第一歩となった。この写真集に出会うまでは写真の面白さとは何ぞや写真作品の素晴らしさとは如何なるものかと、理解に苦しみ疑念を抱いていたが、この写真集により、其の疑念も解消され、忽ち写真への興味へと変わった。

この写真集を見て感銘を受け、写真は面白い!そして自分でも撮ってみたい!と以前に増して思うようになった。そして、其の後、大分経ってからであるが、私は初めて一眼レフを手にした。
そして町を歩きスナップ写真を撮ってみたが、後藤田三朗のような写真とは程遠いスナップしか撮れず。実際に撮ってみるとこの難しさを実感した。
この作品集を作るにあたって相当な根気、気力を要した事だろうと察する。

其の後、数々の写真集を見た。取り分け、東京を中心に撮影されたスナップショットに着目した。
内山英明『都市は浮遊する』、豊原康久『Street』、ベン・シモンズ『東京欲望』、長野重一『東京好日』など数々の秀作写真集に出会う事が出来た。
私の中の其の原点は『写真機無音カメレオン』にあった。私にとっての写真に対する興味の始まりであったからだ。
感銘を受け、想像力を掻き立てられた。この写真集は私にとってのナンバー1である。
然し、残念な事に写真家による写真集(写真作品)と云うのが脚光を浴びるのは難しいようだ。写真家の写真集と云うと本屋の片隅にひっそりと置かれている。小さな本屋だと写真集コーナーすら無い。そんな状態だから当然知名度は低い。評価するにも知名度が無くては評価の対象にもならない。写真家の写真集と云うものは、今も変わらずそんなマイナーな場所にある。売れなければ直ぐに絶版になってしまう。写真集を出版するにも売れ行きが期待出来ない事もあり困難のようだ。

後藤田三朗と云う写真家に興味を持ったが何分資料が少ない。
この写真集で後藤田三朗と云う写真家を知り、他の写真集もと本屋や図書館、古本屋なども探すが見当たらず。当時(約20年前)はインターネットなど無い時代だから、調べ物をするのも一苦労だった。

「写真機無音」巻末のプロフィールによると、
1956年 岡山県倉敷市に生まれる
1974年 岡山県立聾唖学校高等部工芸科卒業
1980年 多摩芸術学園写真科卒業
1981年 初個展「写真機無音」を東京、名古屋、大阪、広島、岡山で開催
1982年 個展「写真機無音PART供廚鯏豕で開催  
●1976年から1981年にかけてアメリカ、台湾、パリへ撮影旅行
1983年 写真集「写真機無音・カメレオン」を出版  
●1978年より、小松紀三男氏に師事、現在に至る
とある。 

其の後、1989年 39回日本写真協会新人賞受賞
何度か個展を行い、最近では2006年05月31日に『のぞく』が出版されている。







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