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  • 2015.06.09 Tuesday
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壊れたレンズで苛立つ

修理代が高過ぎて、納得行かず、修理をキャンセル。
安いレンズの修理に17,175円も払う気にはなれない。
直っていないレンズをまた店まで取りに行かなくてはならないのは億劫だ。
月曜日以降に受け取り可能というが、一向に連絡がないまま本日土曜日。漸く連絡が来た。
電車賃を払って25分か、節約の為2時間歩くか考え、結局歩いた。歩いて往復4時間だ。真に馬鹿馬鹿しい。
店に着くと、待機中の客でビッシリ席が埋まっていた。どんだけ電気製品壊れてんだ!
店に入ると忙しい所為か店員は誰も対応してくれない。少し待っていると、店員が「お掛けになってお待ち下さい」とマニュアル対応。如何見ても空席など無い。床にでも座れと言うのか!と悪態をつきたくなった。
結局受け取るのに30分も待った。真に愉快じゃない。
寒さに震えながら帰宅し、レンズを確かめた。するとあろう事か、シャッターがきれなくなっている。修理に出す前は、エラーが出るとシャッターがきれなくなかったが、エラーが出ない時はシャッターがきれた。なのに、修理に出して戻って来たら何度押してもシャッターが反応しない。100%シャッターが下りない。何じゃこりゃ!と苛立った。完全に壊されてる!壊れ具合が酷くなって帰って来るなんて…。
文句を言いに行こうかと思ったが、止めた。
もうこれ以上、このレンズ一つで苛立つのは嫌だ。文句を言えば、嫌な客だと思われる。互いに嫌な思いをする。
苛立ちを何処にぶつけて良いのやら分からない。
レンズを買ったヨドバシカメラか?レンズメーカーのキャノンか?修理工場か?
文句を言いに行って何とかなるのなら、迷わず行くが、もう如何にもならないだろう。金払って修理して貰うか、買い換えるかどちらかだ。
もう運が無かったと諦めるしかない。
機械モノは厄介だいつ何時壊れるか分からないから、厄介だ。正確なくせに気紛れだから猶の事厄介だ。人間関係も同様に厄介だ。

レンズが駄目になっても、フィルム時代から使っていた交換レンズが3本ある。これで写真が撮れる事は幸いだ。広角レンズが無いのが残念だが…。
新しくレンズを買おうとも思うが、良いレンズは何れも高い。安いレンズで妥協するか、其れとも新しくデジタル一眼の安いものを買ってしまうか…。
金に余裕があれば迷わず高いカメラを買ってしまうのだが…。

高過ぎる修理代

昨年末、愛用していた一眼デジカメのズームレンズ(CANON EF-S18-55mm F3.5-5.6 II USM)がイカれてしまった。
以前から偶にエラーが出ていたので、兆候はあった。
其のエラーの頻度も増し、遂にはシャッターを押す度にエラーが出てしまい、撮影が難しくなった。
30回くらいシャッターを押せば1回くらいは写る。こんな状態では、電池の消費も激しいし、何よりシャッターチャンスを逃す。時間の無駄が大きい。

他の交換レンズを使うと問題なく使えるので、壊れたのは其のズームレンズのみだと解った。ボディが無事だったのは幸いだ。

ズームレンズが使い物にならなくなってしまったので仕方が無く、年末から単体レンズで撮影している。
単体レンズはフィルム一眼レフで使っていたものだ。もう14年使っているが問題なく使う事が出来る。
14年使い続けているレンズが3本あるがどれも問題なく使える。なのに買ってから2年程のレンズがあっさり壊れてしまうのは、腑に落ちない。貧乏籤を引いてしまった気分だ。

年末、ズームレンズを修理に出した。
幾らくらいかかるか訊くと「7,000円〜20,000円」と言うから困ってしまった。7,000円でも十分高い。貧乏を拗らせている私には余りにも重い金額だ。
中古カメラ店を覗いたら5,500円でCANONのEF-S18-55mm F3.5-5.6 II USMが売られていたから、修理代が安くて7,000円は納得がいかない。
修理に出して高くつくなら修理するのは止めようと思った。先ずは査定に出して見積もりをして貰い、其の値段を聞いてから修理するかしないか決められると言うので、とりあえず査定して貰う為に預けた。
そして、本日、其の査定結果の連絡が来た。
値段を聞いて驚いた。
17,175円だ!
何じゃそりゃ!
新品でこれと同じレンズ(CANONのEF-S18-55mm F3.5-5.6 II USM)が21,800円で売られている。
修理して17,175円なんて、真に馬鹿馬鹿しい!
中古でこのレンズは5,000円だ。3本買えちゃうぞ!
この修理代に納得がいく訳がない。
苛立ったと同時に厭きれてしまった。
たとえば、こちらのレンズの扱いがぞんざいで壊してしまったなら、多少高くても仕方のない事だが、大事に扱って来て自然に壊れてしまって、こんな高額じゃ納得がいかない。
しかも、買ってからたったの2年で使えなくなってしまうなんて。14年使っても何の問題も無しに使えるレンズがあるから、其れ等と比べて考えると、この商品は欠陥商品とまでは云わないが其れに近かったのではないかと疑念が沸く。
買った当初もごく偶にエラーが出ていた。写真を100枚撮って1回程のエラーだったから、然程気にしていなかった。適正露出で撮影しても時々、アンダーになったが、其れは手動で補正すれば、写真には問題が無かった。今思えばこの時点で故障していたのだ。使い続けている内に、エラー、露出アンダーの頻度も増えて行った。そして、シャッターを押す度にエラーとなり、使用が困難になった。

一眼デジカメを買った時、レンズとボディのセットで買ったらお得だったから、セットで買った。
このズームレンズで軽量で付けて持ち運ぶのに便利だった。デジカメ一眼を買ってからは重宝していた。
以前は標準レンズと広角レンズと望遠レンズを事あるごとに替えて使っていたが、ズームレンズにしてからは、其の便利さに味を占め何時しかズームレンズばかり使うようになっていた。

17,175円の修理代には当然納得がいかないから、怒りを抑えつつ抗議した。
「一寸値段が高すぎると思うのですが…」と飽くまで丁重に言った。
「部品の大部分を取り替えないといけないので…」と言うので、
私「…買った当初から欠陥があったのではないかと思うのですが…」
担当者「と言いますと?」
私「買った当初から、偶にですが、エラーが出たり露出アンダーになったりしていたのですが…」
担当者「でも、もうご購入されてから2年が過ぎていますから…保証期限内でしたら、何とかなるのですが…」
私「保証期限内に一度修理に出しました。でも、完全に直っていなかったのかも知れません。其の点も考慮していただけませんか?」
担当者「少々お待ち下さい」
電話保留音〜〜♪
担当者「お待たせしました。3,000円くらいなら、負けさせていただきますが…、それ以上だと、こちらの方も赤字になってしまうので…」
何じゃ、そりゃ!?修理代ディスカウント出来るのかい!?
17,175円なんて5円単位まで細かく出して置いて、3,000円くらいとは…急にアバウトな数字出して来やがって…。
3,000円安くなっても、高い!
もういいや!と思い、修理をお断りした。

今後は単体レンズで何とかするしかない。
ズームに慣れてしまった所為で、一々レンズを交換するのが面倒臭くなってしまった。
矢張りズームレンズが欲しい。
高額の修理代出すなら、中古で買った方がましだ。
中古で5,000円でもいいし、シグマの18-50mm F3.5-5.6 DC なら新品で13,900円で買える。
金があれば、高角から望遠まで網羅したTAMRONのレンズ18-200mm F/3.5-6.3を 買ってしまいたいが…。これは23,799円で買える。しかし、そんな金は無い。

デジカメは直ぐに新しいのが出るから、新製品が出ると旧い製品はグーンと値が下がる。
2年一寸前、2006年11月にEOS Kiss デジタル X レンズキットを103,800円で買った。全く同じこの商品が現在は49,800円で売られている。半額以下だ。
デジタル一眼と同時にコンパクトフラッシュも購入したが、2006年11月当時、Lexar Professional CompactFlash 1GB 133xspeed が14,800円もした。今では、2,500円を切っている。2年一寸でこんなにも値が下がるとは…。何か損した気分だ。

機械製品の値段が高いか安いかはどれだけ使えたかと云う結果で決まると思う。
このデジカメがこの先10年以上問題なく使えたならは100,000円でも安いと思うが、直ぐに使えなくなるようじゃ損した気分になる。
機械製品は正確なくせに気紛れだから嫌になる。

金があれば、新しいカメラを買うのだがね…。
貧乏は嫌だ。
其れより何より修理代高過ぎる!
まあ、不満は尽きないが、本日は此の辺で御免被る。

「感動」や「勇気」は貰うものなのか?

「感動を貰う」「感動を与えた」などと云う表現をよく見聞きするが、どうもこれには違和感を覚えてならない。

スポーツ選手などが「多くの人々に感動を与えたい」と言ったり、見ている側も「感動を貰いました」などと言うではないか。
これが罷り通っているから不気味だ。
本来、感動とは自ら感じて自身の心が動くと云った表現だと思うのだが、いつの間にやら、貰うもの、与えるものになってしまっている。
「感動」は「感動する」「感動を覚える」「感動的」「感動に浸る」と云った使い方が本来、一般的な使い方のはずだ。
「多くの人々を感動させる試合をしたい」「あの試合を見て感動した」と言うべきなのだ。

ニュース番組でも「日本中に感動と勇気を与えた〜」などと言っていたりするから厭きれたものだ。
「勇気を貰った」「勇気を与えた」「元気を貰った」「元気を与えた」と云う言い方もよく耳にする。
「勇気」や「元気」も「感動」と同様に与えたり貰ったりするものではなく、自らの内から出てくるものなのだが。
「勇気付けられた」「勇気が沸いた」「元気付けられた」「元気になった」と云う本来使われて来た表現があるにも関わらず、何故に与えたり、貰ったりする物のような扱いになってしまったのだろう?

こじゃれた店って?

最近、お洒落なお店が近所に目立つようになった。
其れは大いに結構なんだけど…。
一様にガラス面積が広い。
ガラスの面積が大きければ大きい程、お洒落度数も上がるのかい?

ブサイク国の私は到底入国、否、入店する事の無い店だから、如何でもよいと思うのだが、何故だか気になってしまう。
更に、其のお洒落傾向を意識的に観察して見ると、共通点に気が付いた。
建物の色である。灰色だ。あれ、色塗ってない?なんて真顔で言ったら、失笑されそうだ。
そして、黒板!店頭に小さな黒板があり、手書きでお品書きが記されている。
お洒落国の人間の考える事は真に不可解だ。

喫茶店の其の黒板を見てみると、メニューの上に、「こじゃれたお店です」などと書いてある。
こじゃれた店…。自ら名乗っているのには驚いた。
「あの店は、こじゃれた店だ」と馬鹿にして言う事はよくある事だが。

「こじゃれた」…この言葉をこの店は一体如何理解して使っているのだろうか?と気になった。
恐らく「少しお洒落なお店」と云う意味で書いているのだろう。
「こじゃれた」とは本来「ふざけた」と云う意味で使われる。
「洒落た」に接頭語「小」が付けられたものだ。元々は狂言の言葉から来ているらしい。
「小戯れた」(こじゃれた)と書けば、「少しふざけた」と云う意味が尚強くなる。

若し「こじゃれた」が本来の意味で使われているとしたら、この店はどんな店なんだろう?
「ふざけたお店」…?
色々と想像してしまった。
店員が全員のりピー語を話すとか…
「いらっしゃいまピー」
なんて、ホンジャマカのコントがあったが…。

「こじゃれたお店」と自ら提示してる店が他にも数軒あった。
あんまりこじゃれなくてもいいと思うんだが…。

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