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  • 2015.06.09 Tuesday
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友川カズキ、ナインティナインのオールナイトニッポンに生出演

<第900回・『生きでるって言っでみろ!岡村隆史が発見!フォークの神様・友川カズキとは、なにもぬだ?』フォークの神様友川カズキさんが登場!SP!>と題された6月14日放送のナインティナインのオールナイトニッポンに友川カズキが生出演した。

普段、私はラジオを聴く時、大方パソコンで作業しながらの“ながら聴き”をしているが、この日ばかりは、PCの電源を切り、ながら聴きを止めて、ラジオの前で番組を聴く事だけに集中した。其れ程、この放送が楽しみだったのだ。

そして、深夜一時。オールナイトニッポンが始まった。
本番前に友川、ナイナイ共に顔を合わせる事なく番組はスタートした。冒頭で岡村が「J-POPの歴史が変わる日です」と宣言。
そして、そして「生きてるって言ってみろ!」をBGMに友川カズキが登場!
生放送のスタジオで友川とナイナイの初対面と相成った。

ナイナイがリスナーから送られて来た「友川カズキに叫んでもらいたい魂の叫び」を紹介。
「言葉は気持ちが勃起しないと駄目なんですよ」と言う友川。
気持ちが来ないと声が出て来ないと云う事であった。正に友川カズキの歌其の物である。

一発目のネタ「ガリを残すな!」を見事に絶叫。
「俺だけ朝顔枯れたぜ!」「スカイマークの苦情は俺に言え!」「もうトドを殺してしまえ!」「アンコウは捨てるとこねぇぞ!」を叫んだ。
友川が最も勃起した言葉は「競輪場に小池栄子」だった。

金八先生に出演した経緯に就いて質問されると友川は、去年競輪の師匠が亡くなり、お通夜に行った際、金八の脚本家に会い、其の息子が友川のファンであった事を聞かされたと話す。其れがあのライブハウスのシーンに出演する切っ掛けであった。(友川の話に名前は出て来なかったが、金八の脚本家は小山内美江子。其の息子は俳優で映画監督の利重剛である)

そして、最後は友川がナイナイの前で弾き語りの生演奏。「生きてるって言ってみろ」と「トドを殺すな」を歌った。ナイナイの二人は其の迫力に圧倒され「放心状態になった」と感想を述べた。

聴き応え抜群の生放送だった。
一つ残念だったのは、ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」に関しての話が全く無かった事。
またいつか友川カズキの再出演を期待したい。



そもそも、何故友川カズキがナインティナインのオールナイトニッポンに出演するに至ったかと云うと、其れは、5月10日の放送。岡村が友川カズキに就いて熱く語た事から始まった。
「とんでもない面白映像見つけた!」「たまたまyoutube見てたら神様を見つけた」と語り出した岡村。先ず、ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」を歌う映像に就いて熱く語った。youtubeで志村けんのコントを探していたら、ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」をBGMに踊る志村けんのコント映像に遭遇。其処から、ちあきなおみが歌う「夜へ急ぐ人」の映像を見て衝撃を受け、更に、この歌を作詞作曲した友川かずきの映像に辿り着き衝撃を受けたとの話だった。

岡村に衝撃を与えたのは、友川カズキの独特の歌唱法であった。
「友川カズキさん、痰絡んでるですか?」と岡村。
「ちょっと笑ってへん?」と突っ込みを入れる矢部。
色々と突っ込みつつも、“魂で歌う人”友川かずきを絶賛していた。
「笑ってへん?」の矢部に対し、岡村は「泣いてんねん」の一点張りだった。

以降、ナイナイのオールナイトでは毎週のように友川カズキの曲を取り上げ話題にしては熱く語っていた。

すっかり話題の虜となった友川カズキが、遂には6月14日の生放送にゲスト出演する事が決まった。

前週6月7日の放送で、友川かずきのファンである、ぐっさんこと山口智充がゲスト出演。
友川かずきのモノマネをギターの弾き語りで披露。

友川かずきを最初聴いた時、「笑ってしまった」と言う矢部と「グッと来た」と言う岡村。
友川かずきを聴くと「笑ってしまうか、グッと来る」かのどちらかに分かれるとぐっさんが語った。ぐっさんと岡村はグッと来る方だと言っていた。




※補足

ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」は知る人ぞ知る伝説の曲。この歌を歌う時にちあきなおみの丸で憑依したかのように激しく歌う姿には誰もが度肝を抜かれるだろう。



「おいで おいで」が怖いよぉー。




ちあきなおみは1977年の第28回NHK紅白歌合戦に出場しこの歌を熱唱している。これも伝説になっている。魂で熱唱し終えた後、白組司会者の山川静夫が、思わず「何とも気持ちの悪い歌ですねぇ」と言ってしまったのであった。
1970年の第21回に初出場し1977年の第28回まで8年連続出場の紅白常連だったちあきなおみだが、翌年から落選し連続出場が途絶えてしまった。1988年の第39回に11年振りの出演。これが最後の紅白出演となった。



「友川かずき」は2004年に「友川カズキ」と表記するようになった。


ナインティナインのオールナイトニッポンは毎週木曜日25:00〜27:00放送。
放送開始は1994年4月4日。





【関連記事】
→ トドを殺すな / 友川かずき


おいでシャンプー / 乃木坂46



5月2日にリリースされた2ndシングル「おいでシャンプー」

選抜メンバー16名
<七福神>生駒里奈、桜井玲香、白石麻衣、高山一実、中田花奈、橋本奈々未、松村沙友理
生田絵梨花、市來玲奈、井上小百合、岩瀬佑美子、斉藤優里、西野七瀬、畠中清羅、星野みなみ、宮澤成良

発売前日5月1日オリコンデイリーシングルチャートで初登場1位にランクイン。
初日売り上げ枚数はファーストシングル「ぐるぐるカーテン」の8.5万枚を上回る11.1万枚を記録。
オリコン週間チャートでも1位。16.5万枚の売り上げを記録した。


「ぐるぐるカーテン」の時も思ったが、今回もまた振り付けが斬新。1stの時も同じく思ったが、2ndの踊りも最初観た時、正直「えっ、何これ!?」って思ってしまった。ワンピースの衣装と云い、踊りと云い、一寸意表を突かれた気分だった。
でも、不思議なもので、何度も観ていると、悪くないな、となって、結構好いなとなってしまう。
そう、今はもう「おいでシャンプー」のあの密着型合体ダンスが、観ていて心地好いほどお気に入りとなってしまったのだ。
AKBをなぞるだけの踊りでは詰まらないからね。奇抜過ぎる踊りはご勘弁だが、程好い“逸脱感”は必要だと思う。何これ!?と少々驚いたけど、矢っ張、これ好いな!と感じさせてくれるくらいが心地好い。今では完全に乃木坂46の虜となってしまった。


PVで生田絵梨花の後ろの橋本奈々未が密着ダンスで一人だけ一寸手を離してしまっているシーン(3.27に注目)がある。この事に就いて生田絵梨花が4月15日のブログに書かれている。密着ダンスの際、生田絵梨花が橋本奈々未の足を踏ん付けてしまったらしい。
生田絵梨花はPVの撮影の時には全く気付かず、PVを見て、「ななみんの様子がちょっと・・・あれ?」となって、あれはどうやら足を踏んでしまったのだと気付いたそうだ。


乃木坂46を最初に見たのは2011年10月2日に放送が開始されたテレビ東京系列のバラエティ番組「乃木坂って、どこ?」(毎週日曜24:00-24:30)だった。
乃木坂46って可愛くて美人が多いなと思ったのが最初の印象だった。AKB48の公式ライバルが結成されると云うニュースを見た時は、正直、またか!と思ったが…。またか!と云うのは、此の頃流行の大人数アイドルグループ!秋元康プロデュース!然も便乗パターン!此れには閉口。
この手の大人数のアイドルグループに然程興味は無かったが、乃木坂46には何故かハマってしまった。自分でも何でハマってしまったのか不思議だが…。

「乃木坂って、どこ?」で最初に乃木坂46が登場した時には先ず美々った。
第1回目に登場したのは、選抜メンバー15名。

<前列> 安藤美雲、生田絵梨花、生駒里奈、市來玲奈、岩瀬佑美子、齋藤飛鳥、桜井玲香
<後列> 白石麻衣、高山一実、中田花奈、深川麻衣、星野みなみ、宮澤成良、大和里菜、若月佑美

五十音順に並んでいた。
最初に、これは!と感じたのは、桜井玲香。顔立ちの整った正統派美人。育ちの良さそうなお嬢様ってな印象だった。「女子校歴14年」と自己紹介した時には、ヤッパリ!と納得。顔立ちが良いと云えば白石麻衣も見事に整った顔立ちだ。生田絵梨花、齋藤飛鳥は見事な美少女。美少女コンテストとかで優勝しても可笑しくない容姿だ。其れに安藤美雲や深川麻衣の落ち着いたかわいさもグッと来る。
そんなこんなで、グループに所属しなくても、ソロでデビューしても充分活躍出来そうな面子が揃っている。此れが乃木坂46の凄いところだね。

オーデションに38,934人もの応募があって、其の中から選ばれた36人(現在33人)となれば、相当の高いレベルが集結するのは当然なのかも知れないが、其れにしても見事な顔触れだ。
アイドルのオーデションに約4万人もの応募があるとは…。アイドルになりたいって女子がこんなにも多いとは…。
一説によると、現在、有名無名プロアマ問わずアイドルグループに所属している女子が日本中に5万人もいるとか…。正にアイドル戦国時代。


“乃木どこ”第2回目の放送では、乃木坂46のセンター「乃木坂七福神」が発表された。
白石麻衣、桜井玲香、中田花奈、市來玲奈、生田絵梨花、高山一実、生駒里奈(発表順)

当分このメンバーで行くのかと思いきや、年明け早々、2012年初めに、デビューシングル選抜メンバーが発表され、数人の入れ替えがあった。

2012年1月8日放送の「乃木坂って、どこ?」でデビューシングルの選抜メンバーが発表された。

<乃木坂七福神>
白石麻衣、松村沙友理、橋本奈々未、生駒里奈、高山一実、生田絵梨花、星野みなみ

<選抜メンバー>
川村真洋、井上小百合、西野七瀬、中田花奈、斉藤優里、齋藤飛鳥、市來玲奈、能條愛未、桜井玲香
(発表順)

まさかの展開。中田花奈、市來玲奈、桜井玲香が七福神を外されてしまった。


乃木坂46のプロフィールを見て、時代を感じてしまった。名前に「子」が付くメンバーが“ゆみ姉”こと21歳の最年長「岩瀬佑美子」一人しかいない。十代のメンバーは皆「子」が付いていない…。
「せいら」が3人もいるし。永島聖羅、畠中清羅、宮澤成良。乃木坂46は皆さん本名らしいが、其れにしても、芸名みたいな本名が多い事…。「和田まあや」って名前凄いな…。


取り分け注目される事もなく地道に活動を続けて来た、叩き上げのAKB48とは対照的、AKB48の公式ライバルとして、鳴り物入りのデビューとなった乃木坂46。1st、2ndと着実に売り上げを伸ばしたところで、3rdに注目大だ。
1st「ぐるぐるカーテン」2nd「おいでシャンプー」に続いて、ひらがな+カタカナのタイトルとワンピースの衣装のパターンは崩さずに行くのだろうか?






エリーゼのために〜中村紘子が選ぶピアノ名曲集 / 中村紘子



中村紘子/エリーゼのために〜中村紘子が選ぶピアノ名曲集

1994年10月1日発売

<収録曲>
1.モーツァルト:ロンド ニ長調 K.485
2.ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女
3.ショパン〜リスト:乙女の戦い
4.スクリャービン:エチュード嬰ハ短調 作品2-1
5.ドビュッシー:アラベスク第1番
6.ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
7.ラフマニノフ:プレリュード嬰ハ短調 作品3-2 「モスクワの鐘」
8.ベートーヴェン:エリーゼのために
9.リスト:ためいき
10.ラフマニノフ:バルカローレ 作品10-3
11.モーツァルト:トルコ行進曲
12.シューマン:トロイメライ
13.アルベニス:タンゴ
14.バッハ:主よ、人の望みの喜びよ


数年前から、手に取るCDの大半がピアノ曲になった。
特に理由は無いが、何となく静かでシンプルなサウンドが近頃の好みなのだ。

そんな訳でピアノ曲が取り分けお気に入りで手当たり次第にアルバムを聴いている。
其の中でもお気に入りの1枚が、中村紘子のデビュー35周年を記念して発売された特別企画盤。
クラッシックの名曲が時代や国境を超越して、この1枚に結集している。
ピアノ一台、演奏者一人、ピアノ以外の音は一切入っていない。
当たり前の事だが…
ピアノの音だけで、1枚のアルバムを作ってしまう
――これは改めて凄い事だと感じる。
ピアノの魅力を存分に堪能出来る1枚である。

子供の頃、クラッシック音楽の知識がほぼゼロに近かった私ですら、ピアニスト中村紘子の存在を知っていた。
テレビCMが印象的だった。潜在意識に刻まれてしまったのだろうか、クラッシックに興味を持ち始めた頃、最初に手に取ったのが、中村紘子のアルバムだった。

其の後、色々なピアニストの演奏CDを聴いた。
最初にピアニストを意識して聴いたのが中村紘子だった所為か中村紘子の演奏を聴くと何だか原点に返った感懐を得られる。

そう云えば以前、NHKの番組だったと思うが、中村紘子が左手でピアノを演奏しながら右手で玉子焼きを料理すると云う技を披露した事があった。これはパフォーマンスではなく、右脳と左脳の実験らしい。

「あらびき団」観てたら一柳麻衣子と云う方が超小型ピアノで「トルコ行進曲」演奏していた。指より小さい鍵盤を爪で弾くと云う凄技!
中村紘子も左手でピアノ演奏、右手で料理のパフォーマンスで「あらびき団」に出演して欲しいな。まあ、無いと思うけど。



posted by Takashi Sataiya (ทาคาชิ สทัยยา)

トドを殺すな / 友川かずき



「トドを殺すな〜」と絶叫。
ギターを掻き鳴らし歌うシンガーがいた。
其れを初めて目にしたのは「3年B組金八先生」のワンシーンだった。
ライブハウスでのシーン。武田鉄矢演じる金八先生が三原じゅん子演じる山田麗子に向かい「掻き毟られるような歌だね」と言った台詞も印象に残っている。



「トドを殺すな〜」と歌うあの人は一体何者なのだ?と興味を持った。
エンディングロールに「友川かずき」と記されていた。
曲名は其の儘『トドを殺すな』であった。
これが友川かずきを知る切っ掛けだった。

其の後、友川かずきのアルバムを購入して聴いてみた。
秋田訛りで独特のビブラートを響かせ絶叫する独特の歌声に心を打たれた。

後に友川かずきが中原中也の「骨」と云う詩に感化され、詩作を始めた事を知った。
友川かずきは中原中也の詩に曲を付けて歌っている。

友川かずきについての情報は少ない。
テレビで観たのは「金八」とBSで放送されたライブの二回だけしかない。
其の他は見逃してしまった。

タイの音楽に「プレーン・プア・チーウィット」(เพลงเพื่อชีวิต)と云うジャンルがある。
「プレーン・プア・チーウィット」を日本語訳すると「生きる為の歌」となる。
タイの「プレーン・プア・チーウィット」を聴くと何故か懐かしさに似た想いが浮かぶ。
いにしえのフォークソングをイメージする。
日本の“生きる為の歌”「プレーン・プア・チーウィット」はここにあり。
と友川かずきの歌を聴く度に思う。

When You Walk In The Room / Jackie DeShannon




ジャッキー・デシャノン(Jackie DeShannon)を知る切っ掛けはサーチャーズ(The Searchers)が歌う「When You Walk In The Room」と云う楽曲を知った事からであった。(サーチャーズを知る切っ掛けもこれだった)
初め、てっきりこの曲はサーチャーズのオリジナル曲かと思ってしまったが、後にジャッキー・デシャノンと云う女性シンガー作詞作曲のオリジナル曲だと云う事を知った。




「When You Walk In The Room」サーチャーズヴァージョンを聴いた時の私の率直な感想は、“ビートルズっぽい”であった。
イントロと全体的な曲調が「涙の乗車券」(Ticket To Ride)に似ている…
然し!
調べてみればサーチャーズの「When You Walk In The Room」がリリースされたのは1964年の11月だ。
「涙の乗車券」は1965年4月9日リリースされている。(1965年2月15日レコーディング)




となると、逆である。サーチャーズが先なのだ。
ビートルズが“サーチャーズっぽい”になる。

ジャッキー・デシャノンが「When You Walk In The Room」をリリースしたのは1963年11月23日。
こうなるとビートルズが「When You Walk In The Room」を意識して「涙の乗車券」を作ったのではないかと考えられる。

Searchersはビートルズと同時代のバンド。出身もビートルズと同じくリヴァプールであった。
サーチャーズはロックバンドとして逸早く12弦エレキギターを取り入れたバンドでもある。
ビートルズが12弦エレキギターを取り入れたのもサーチャーズの影響ではないかとも考えられる。
バーズ (The Byrds)がビートルズの映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』が12弦エレキギターを取り入れる切っ掛けになったと云う話は有名であるが、ビートルズがサーチャーズの影響を受けているかどうかは余り言及されていない気がする。


「涙の乗車券」と云えば、ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)の「ガールズ・ドント・テル・ミー」(Girl Don't Tell Me)を思い浮かべる。
「ガールズ・ドント・テル・ミー」は「涙の乗車券」を意識して作られた一種のパロディと云われている事は割りと知られている事だと思うが、「涙の乗車券」がジャッキー・デシャノンの「When You Walk In The Room」の影響を受けて作られた事は余り知られていないと思う。
当時、ジャッキー・デシャノンの楽曲はビートルズと同じ会社が管理していた。
ビートルズは1964年8月19日〜9月20日に初の大規模なアメリカツアーを行った。
其の前座の一人としてジャッキー・デシャノンが出演した。

ポールがジャッキーに初めて会った時にデモテープ全部聴かせて貰ったと言い、ジャッキーの楽曲を絶賛した事、ジョージ・ハリスンがジャッキーに「When You Walk In The Room」のギターリフを弾いて欲しいと言った事、ジョン・レノンが未だ発表される前の新曲「アイム・ア・ルーザー」(I'm A Loser)をジャッキーの前で歌い、感想を求めた事などのエピソードがある。この事からして、ビートルズがジャッキーの音楽を意識し関心を持っていた事が推測出来る。

ビートルズとのツアーが終わった後にジャッキーは「When You Walk In The Room」が収録された『Breakin' It Up on the Beatles Tour!』(1964年)を発表した。



Breakin' It Up on the Beatles Tour!


「When You Walk In The Room」は1964年のサーチャーズ(The Searchers)をはじめ、1979年カーラ・ボノフ(Karla Bonoff)、1981年ステファニー・ウィンズロー(Stephanie Winslow)、1994年パム・ティリス(Pam Tillis)等々のミュージシャンによってカヴァーされている。

NO VOTE NO VOICE / LITTLE CREATURES

3rdアルバム『NO VOTE NO VOICE』が発売されたのは1992年11月21日。
2ndアルバム『VISITA』から1年8ヶ月振りの待望の3rdアルバムとなった。イカ天で演奏された曲は全て1stと2ndに収録された。従ってこの3rdアルバムの曲は全て初耳の曲であった。
どんな音を聴かせて呉れるのか、期待は高まった。
いざ、聴いてみると期待通り。否、期待以上といっても過言ではない。

青柳拓次はロンドンへ、鈴木正人はボストンへ留学。栗原務は東京に残り、其々の場所で其々暮らしていた。青柳拓次はスコットランドで一年間英語を勉強し、其の後、超難関のイギリス・リーズの音大へ。1stアルバムを大学に送り、其れが評価されて入学出来たと云う。

別々で暮らしていた3人がロンドンに集結してのレコーディングとなった。予てからの望みであったロンドンレコーディングが実現。



アルバムタイトル『NO VOTE NO VOICE』はイギリスの総選挙の投票率を高める為の標語から付けられた。

【収録曲】
1. HAPPYTEARS
2. BAD LOSER
3. THE KEY WAS IN MY POCKET
4. RUMMY'S SILLY TALK
5. ON A CLOUDY DAY
6. NO VOTE NO VOICE
7. MURKY WATERS
8. EMPTY SACKS
9. JUST WHERE I STAND
10. WALKINGROUND IN CIRCLES
11. BOTH SIDES OF LIFE
12. RIVER RIVER

 『HAPPYTEARS』はインストゥルメンタル。ばらばらに暮らしていたメンバーがここに終結し、一体化しリトルクリーチャーズここにありと云ったそんなイメージが沸く一曲だ。
 『RUMMY'S SILLY TALK』は栗原務作曲者デビュー作。「最近夜で歩かなくなった彼の夜への想いを曲にしたもの(予想)。サビのコードの進み方がすばらしい」と青柳拓次がコメントしている。
 『THE KEY WAS IN MY POCKET』と『ON A CLOUDY DAY』は鈴木正人が作詞作曲を担当。其れ以外の曲は青柳拓次の作。
 『EMPTY SACKS』は1stのレコーディングから足掛け3年の月日を経て完成。
『WALKINGROUND IN CIRCLES』のフルートの部分は元々ギターであったが、レコーディングの際、急遽フルートに変更された。この曲のパーカッション部分は全てリトルクリーチャーズによって演奏されている。
 『BOTH SIDES OF LIFE』はレコーディング当日の朝に出来上がった曲。このように急遽曲が出来上がるのは1stの「POINT OF VIEW」以来、2曲目の事。「3年かかった『EMPTY SACKS』とこの曲を考えると曲を仕上げるの年月は決める事は出来ないのだ」と青柳拓次はコメントを残している。

VISITA / LITTLE CREATURES

1stアルバムリリースから4ヶ月が経った1991年3月21日。2ndアルバム『VISITA』が発売された。レコーディングは1stアルバムと同時期に行われていた。

「バンドというよりトリオのサウンドにしたかった」と言う青柳拓次、
「コンサートとは違うスタジオライブの感じ。曲に対する思いやりが1stよりずっと大きいと思う」と言う栗原務、
「(このアルバムは)より自分達らしさが出せたと思う」と言う鈴木正人。

今までやったことのなかった楽器にもチャレンジ。鈴木はコンガやビラフォン、青柳はマンドリンにも挑戦している。


up
(左)がシングル『NEED YOUR LOVE』(1991年3月1日発売)
(右)が2ndアルバム『VISITA』(1992年11月21日発売)


VISITA』 【収録曲】
1. I CAN WAIT
2. SUDDENLY (I'M HOME)
3. I WON'T SAY 'TIL I KNOW
4. MY LIFE AS A DOG
5. NOTHING BOTHERS ME
6. UMBRELLA
7. IS THER MORE?
8. BLUE SMOKE
9. WILD AMERICA
10. LET IT GO (HOW CAN WE SURVIVE ?)
11. NEED YOUR LOVE
12. GRAND FATHER

LET IT GO (HOW CAN WE SURVIVE ?)は鈴木正人が作詞作曲している。其れ以外は全て、青柳拓次の作詞作曲。
イカ天1週目で演奏した「MY LIFE AS A DOG」、2週目で演奏した「UMBRELLA」、5週目で演奏した「NEED YOUR LOVE」が収録されている。

「I CAN WAIT」は“僕らには歌しかない”と気付いた19歳の気持ちを。
「SUDDENLY (I'M HOME)」は一人で歩む若き人生が描かれている。
「ついこの間まで高校生で、皆とワイワイやってたのに、今はこうして音楽をやっている。そういう気持ちを歌いたかった」と青柳は言う。
「LET IT GO (HOW CAN WE SURVIVE ?)」は、未だ戦争を止められない人類の悲しさ、其れでも希望を捨てない決意が込められている。

このアルバムの後、鈴木正人はアメリカ・オハイオ州へ。青柳拓次はスコットランドへ、其々留学の為、旅立ち、栗原務は一人日本に残った。

LITTLE CREATURES / LITTLE CREATURES

LITTLE CREATURESを初めて観たのは“イカ天”だった。
バンドブームの中、勢いのあるアマチュアバンドが次々とメジャーデビューしていた頃であった。其の頃、イカ天はやや低迷期に入っていた。
其処に登場したのがLITTLE CREATURESであった。
1990年(平成2年)4月14日の生放送だった。
5組目に登場。「ソウルとジャズのエッセンスを吸収した18歳のバンド」と云う触れ込みで紹介された。

演奏曲は「My Life As a Dog」
審査員から絶賛され、見事イカ天キングに輝いた。
平均年齢18歳と云う若さでありながら、丸で成熟したかのような音楽性、そして渋い演奏。音楽に対する真摯な姿勢が感じられた。
其れまでのイカ天バンドには無い卓越した世界観を感じ、忽ちファンになった。

19代目イカ天キングとなったLITTLE CREATURES、2週目は「umbrella」を演奏し、チャレンジャーの挑戦を受けた。そして、結果は審査員7人全員一致でリトルクリーチャーズに軍配があがった。
3週目は「THINGS TO HIDE」を演奏。5対2で勝ち抜いた。この曲は後、ファーストアルバムに収録されたが、歌詞が大幅に改変されていた。
4週目は「NOBODY KNOWS」を披露。審査員満場一致の7対0で勝ち抜いた。この曲もファーストアルバムに収録されたが、大幅に歌詞が改変されていた。
5週目は「NEED YOUR LOVE」を演奏。最終週、勝ち抜けば見事グランドイカ天キングと云うところで苦戦。4対3で勝利。誰か一人がチャレンジャーにあげていたら負けていたところだった。審査員7人の中にゲスト審査員としてYOSHIKIが出ていた。YOSHIKIはLITTLE CREATURESではなく、チャレンジャーの方に一票を入れていた。
何はともあれ見事、5代目グランドイカ天キングに輝いたのだった。

そして、1990年11月1日シングル『THINGS TO HIDE』でデビュー。
1990年11月21日には アルバム『Little Creatures』をリリース。



up
Little Creatures
〔収録曲〕1.THINGS TO HIDE 2.IN THE NAME OF LOVE 3.I DON'T MIND GETTING WET 4.POINT OF YOU 5.NOBODY KNOWS 6.YOU ARE SO BEAUTIFUL

1990年7月31日〜8月25日までLAにてレコーディング。
当人たちの希望はロンドンレコーディングだったが、エンジニアの意見でLAへ。
これがLITTLE CREATURESの初レコーディングとなった。
「年が倍違う人達と作ったアルバムだからなかなか面白いと思う」と青柳拓次がコメントしている。

LITTLE CREATURESと云うバンド名はトーキング・ヘッズの6作目のアルバムのタイトルから来ている。LITTLE CREATURES(小さな生物)と云うのが日本人にぴったりだと思った事と「クリエイトする」と云う意味も含めてバンド名に付けられた。
ファーストアルバムのタイトルも『LITTLE CREATURES』となった。

LITTLE CREATURES結成までの道は先ず、青柳拓次と栗原務の出会いから始まる。
青柳拓次の母と栗原務の母が知り合いであった。中学受験の時、偶然、母親同士が再会。其処で青柳と栗原が知り合った。青柳がギター、栗原がドラムでバンド活動が始まった。
中学時代はベース担当が何度も入れ替わった。後に高校から入学して来た鈴木正人がベース担当で加わり、LITTLE CREATURESを結成。
ベースを弾く鈴木を見た青柳と栗原が実力を見込みバンドに誘ったと云う。
其の時の事を鈴木は「突然知らない人から電話が掛かって来て戸惑った」と回想している。
彼等の通う学校の音楽室にはドラムセットがあり自由に練習出来る恵まれた環境にあった。同級生の間でも音楽活動が盛んであった。レゲエ、スカ、パンク、ジャズと何でもアリと云う環境に彼等はいた。

イカ天登場以来、LITTLE CREATURESの楽曲は全て英語詞。
「何故日本語で歌わないのか?」との問いに、彼等は「英語なら世界中の人に聴いて貰える」と答えていた。日本の音楽は大抵日本国内の人々に向けたものが多い。だが、彼等には、日本国内だけに向けてではなく、海外にも向けて音楽を発信して行きたい云う意思があった。

私の最も好きなバンドはLITTLE CREATURESである。
イカ天で観て以来、ファンになった。
流行などには全く左右されず自分達の世界を大切にし、地道に音楽を続けている…そんな彼等の姿勢に惹かれる。
派手なパフォーマンスなど彼等には不要。音楽で全てを見せてくれる。
リリースされたアルバム毎に味がある。そして、味わい深い。何度も聴きたくなるアルバムばかりだ。

※イカ天
『三宅裕司のいかすバンド天国』
1989年2月〜1990年12月 毎週土曜日24:30〜27:00に放送されたTV番組。




まりちゃんズ『もうすぐ23才』の歌詞

『もうすぐ23才』

何だかお腹も出てきたし 
体力もなくなってきたみたい
これから愈々下り坂か 
僕はもうすぐ23

貯金も無いし暇も無い
会社で出世もしそうにない
あの子は結婚 急がせる 
僕はもうすぐ33

世の中 不景気花盛り
女房と子供は食い盛り
働き盛りと人は言う
僕はもうすぐ43

夜中に女房が寄って来る
それが恐怖で眠られぬ
命辛辛恋せよ男
僕はもうすぐ53

こうして時は過ぎてゆく
それでもいつかはこの胸が
ドキドキするような出来事が
やって来そうな気がします

孫が生まれりゃまた男
茨の道が待っている
可哀想にと涙する
僕はもうすぐ63

リュウマチの治療に
近頃天国の夢を見る
ひたすら真面目に生きてきた
僕はもうすぐ73

今じゃ寝たきり半身不随
糞も小便も垂れ流し
それでも天国夢見てる
僕はもうすぐ83

83からの生活は
「すまないね、すまないね」が口癖で
行かせて下さい地獄でも
僕はもうすぐ93

こうして時は過ぎてゆく
それでもいつかはこの胸が
ドキドキするような出来事が
やって来そうな気がします

やっと楽になれました
どうしてみんな泣いてるの
祝って下さい男一匹
やっと自由になれたのだから



上記は『まりちゃんズの世界(ベストセレクション)』の最後(11曲目)に収められている曲の歌詞である。『まりちゃんズベスト』は75年にリリースされた2枚のアルバムから選曲され再構成されCD化されたものである。
このアルバムは1曲目から10曲目までは所謂コミックソングで綴られている。
最後のこの曲は一味違うと云うのが、泣きのギターで始まるイントロで解る。
この曲を聴いた時は余りに痛烈な歌詞で胸を打たれずにはいられなくなってしまった。
単なるコミックバンドでは終らない可能性を感じさせてくれる楽曲だ。
其の後、まりちゃんズは活動停止。1974年6月に『ブスにもブスの生き方がある』でデビューし、75年7月に『三巴狂歌』、12月に『お買徳』のアルバムを2枚リリースしただけで終わっている。2枚目の『お買徳』は活動停止後、尾崎純也が主導で制作している。活動停止であって正式に解散はしていない。活動停止後、尾崎純也、藤岡孝章、藤巻直哉の三氏は其々に活動している。
現在は藤岡孝章と藤巻直哉が“藤岡藤巻”として活躍している。“藤岡藤巻”の楽曲も秀作揃いだが、願わくば、まりちゃんズとして活動を再開して貰いたいものだ。

プロレスからロックへ

子供の頃、プロレスが流行っていた。
ゴールデンタイムにプロレス中継が放送される程の人気だった。
新日本プロレスと全日本プロレスどちらも好きで観ていた。

1985年当時、人気を博したのが全日本のリングに登場したザ・ロード・ウォリアーズ(The Road Warriors)であった。
筋骨隆々のアニマル・ウォリアーとホーク・ウォリアーによるタッグチーム・ザ・ロード・ウォリアーズの登場は余りにセンセーショナルなものだった。
ダッシュで入場するなりゴングを待たず対戦相手を襲撃!あっと云う間に対戦相手をマットに沈めてしまう圧倒的な強さを見せ付けていた。
後に“即効性プロレス”なんて呼ばれた。

ロード・ウォリアーズの入場テーマ曲が、彼らのキャラクターと相俟ってカッコよかった。
其のテーマ曲は、ブラック・サバス(Black Sabbath)のアイアンマン(Iron Man)である事を後に知った。




プロレス観戦に没頭していた私は、入場テーマ曲にも興味を持ち、プロレスラーの入場テーマ曲集なるカセットを買って、幾度も繰り返し聴くようになった。
幾度も繰り返し聴くあまりテープが伸びて切れてしまったのだった。

当時はプロレスごっこが流行っていて、入場曲をかけて入場シーンから真似てやっていた。ジャンケンで負けた奴が技をかけられるなんて遊びも流行った。

私はプロレスを通じてロックを知る事となった。そして、何時の間にやら、ロックへの関心が高まり傾倒して行ったのだった。


当時気に入っていた入場曲は以下の通り。



ブルーザー・ブロディ(Bruiser Brody)→レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)「 移民の歌」(Immigrant Song)




リッキー・スティムボート→(Ricky Steamboat)YMO「ライディーン」(雷電、RYDEEN)




ミル・マスカラス→(Mil Máscaras)→ジグソー(Jigsaw)→スカイ・ハイ (Sky High)




アブドーラ・ザ・ブッチャー→(Abdullah The Butcher)ピンク・フロイド(Pink Floyd)「吹けよ風、呼べよ嵐」(One of These Days)




ハルク・ホーガン(Hulk Hogan)→ サバイバー(Survivor) 「アイ・オブ・ザ・タイガー」(Eye Of The Tiger)

などなど、色々と聴いて行く内に音楽への興味が広がって行った。

最も気に入ったプロレス入場曲は、ザ・ファンクス(The FUNKS)の入場テーマ曲「スピニング・トーホールド」(spinning toe hold)であった。



この曲は外国の曲だと勝手に思い込んでいたので、後に日本人のバンド・クリエーションが作曲し演奏していると知った時は驚きだった。
クリエーションがザ・ファンクスの必殺技「スピニング・トーホールド」をイメージし曲を作り彼等に捧げた曲だったのだ。
これが切っ掛けでクリエーションにもハマり、数々のアルバムを聴き漁った。


up
クリエイションの復刻版CD

(左)CREATION WITH FELIX PAPPALARDI [クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ](1976年)
(中央)PURE ELECTRIC SOUL [ピュア・エレクトリック・ソウル](1977年)※「SPINNING TOE-HOLD」収録
(右)LONELY HEART [ロンリー・ハート](1981年)

※(左)(中央)の2枚のアルバムは「クリエイション」、(右)のアルバムは「クリエーション」でクレジットされている。

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