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  • 2015.06.09 Tuesday
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3-4x10月

北野武監督作品『3-4x10月』が公開されたのは1990年9月だった。
私は当時高校生であった。其の頃、短期のアルバイトをしていた。簡単な仕分け作業の仕事だった。
10日間の期間限定。募集事項には「誰でも出来る簡単な軽作業」と書いてあった通り、実に簡単で楽な仕事だった。
仕事が楽で監視もされないので仕事中はよく雑談していた。
其の職場には私より1つ年上の同じくアルバイトの女性1名がいた。其の女性が、退屈だったのだろう、私に話し掛けて来た。話は丸で盛り上がらなかった。彼女が一方的に質問して来て、私が其れに答えるだけの一問一答を繰り返していた。私は自分で自分が情けなくなる程詰まらない返ししか出来なかった。正直何を話して良いのか分からなかった。結果、質問に答えるだけで精一杯だった。彼女が「スポーツ好き?」と問えば「まあまあ好き」と私が答える。「何が一番好き?」と問われれば「野球かな」と答える。「野球どこのファン?」と訊かれれば「大洋ホエールズ」と何とも詰まらぬ返しをしていた。ただでさえ、普段女性と話し慣れていない高校生の私が、一つ年上の女性となると余計に話し辛かった。
彼女はリアクションの悪い私に一切不平を言わなかった。恐らく内心では「詰まらない男だ」とでも思っていただろう。
其れでも、彼女は毎日のように質問をして来た。「朝ご飯食べて来た?」「うん、ちょっとだけ」、「何食べた?」「パンと牛乳」…と。

 アルバイトの最終日だった。何時ものように、「今日電車混んでた?」「結構混んでた」「座れた?」「座れなかった」と続いた。
「映画好き?」と訊くので「まあまあ好きかな?」と答える。「映画館とかよく行く?」「偶には行くけど…」、「今度映画行かない?」と突然彼女に誘われた時は一寸吃驚した。

然して、日曜日。
新宿で彼女と待ち合わせをした。彼女は赤いプリーツスカートにフリルのブラウスを着ていた。此れは、目立つなァ。一寸きついなァと云うのが私の正直な感想。仕事の時は、割と普通の目立たぬ格好をしていたのに何故今日に限って…。と妙な心持ちになった。
「映画何観ようか?」と言う。そう、映画に行く約束はしたが、何を観るかは決めていなかったのだ。
取り敢えず、映画館へ行く事になった。
歩き出すと突然彼女が「迷子になるといけないから、手繋ごう」と言う。
私は初心(うぶ)な男子高生だったから、「いいよ」と否定の「いいよ」を使って拒否してしまった。其れに対して彼女は何も言って来なかった。
今思うと、何で拒否しちゃったんだろう?と一寸勿体無かったとも思う。

タイトルは覚えていないが其の頃、話題の洋画作品が幾つかあったと思う。
然し、人気のある洋画はどれも満席だった。
「どうしよっか?次の上映まで待つ?」と言う彼女に対し「何処か空いてる映画館でいいよ。雨降りそうだし」と返した。
雲行きが怪しく今にも降り出しそうな空模様だった。
我々は空いている小さな映画館へ移動した。
其処で公開されていたのが『3-4x10月』だった。
「たけしの映画面白そうじゃない?」と私が言うと、彼女は余り乗り気で無い面持ちだった。
「じゃ、これにしようか…」と彼女が言ったので、漸くチケットを購入。
館内へ入ると其処は丸で学校の視聴覚室のような狭い映画館だった。空席だらけで客が10人に満たなかった。
台詞も少なければ音楽も殆どかからない。沈黙の多い内容だったが、私にはとても新鮮に思えて良かった。
映画が終わり彼女に感想を訊くと、「一寸退屈だった。何か難しくてよく解らなかったなあ。洋画の方が良かったかも…」と不満の様子だった。
「これから如何する?」と私が問うと、彼女は「もう帰るね」と言う。映画を観る前は「映画終わったら何処行こっか」と言っていた彼女だったのだが…。
新宿で別れて別々の電車に乗って帰路に着いた。最寄り駅へから家へ向かって歩き出すと、ザーザーと激しく雨が降り出した。私は走って家へ帰った。鞄がびしょ濡れで、購入した映画のパンフレットまで濡れてしまった。
其の後、其の彼女とは音沙汰が無い。
何故、彼女は私を映画に誘ったのだろう?唐突過ぎる映画の誘いには本当に驚いた。
私に気があった?なんて微塵も思わない。
彼女に嫌われた要因としては、手を繋ぐ事を拒否した事と、この映画の二つ…。
女心は解らない。だから私はモテないんだとつくづく思う。
今、彼女の事を思い出そうとしても、以上に書いた事以外は殆ど思い出せない。思い出も殆ど無い。顔も何となくしか思い出せない。名前すら忘れてしまった。


up
【雨に濡れてしまった『3-4x10月』のパンフレット】

「監督:ビートたけし」と書かれている。
ビートたけし本人は「北野武」と書いてエントリーしたが、製作者側は「北野武」じゃ誰だか解り難い、ネームバリューのある「ビートたけし」の方が良いと判断して、摩り替えたと云うエピソードがある。
其れでもたけしは「北野武」に拘り、其の後もずっと監督:北野武を通している。



私は『3-4x10月』を観て以来、北野作品に興味を持った。其の後、監督第一作目の『その男、凶暴につき』(1989年)も観て気に入った。第一に、観客に迎合して人気を集めるような映画とは全く違うと云うところが私の心に響いた。人気の洋画などは悉く拒否反応を示したが、北野作品には全く拒否反応を起こさず、不思議なくらい自然と受け入れる事が出来たのだ。


当時、芸能人が監督をした映画は悉く不評だった。
タレント監督は悉く見下されていた。
北野作品もそうであった。批判対象にもなった。
評価は賛否両論あった。
何よりも観客動員数も話題性も映画的評価も振るわず芳しくない評判だけが残った。
其れでも2作目3作目と出して来たところが凄いと思った。


1997年、『HANA-BI』で第54回・ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。
気付けば、今や“世界の北野”と呼ばれている。
でも、海外で賞を取ってから日本で評価が上がるなんて何とも皮肉だ。

問題のない私たち



結論から述べると、黒川芽以の演技が素晴らしかった。この一言に尽きる。
黒川芽以が演じたのは、中学3年の笹岡澪(ささおかみお)。生まれて直ぐに母と死別し、父親に男手一つで育てられたと云う役どころ。
澪はクラスメートの潮崎マリアをいじめていた。「これは、潮崎マリアに対する不快感への正当防衛だ」と自らに言い聞かせ、いじめを正当化していた。
テレビでいじめ自殺のニュースを目にすると「死ぬくらいの勇気があるなら刃向っていけばいいのに」と常に強気の姿勢でいた。
或る日、新谷麻綺(しんたにまき)が転入して来る。麻綺がクラスの人気者になると、澪は麻綺に目を付け、いじめを嗾けたが、形勢逆転。澪が麻綺をはじめとするクラスメートのいじめのターゲットにされてしまう。
親友だと思っていたクラスメートからもいじめを受け、いじめる側からいじめられる側へと完全に立場が逆転してしまった。
いじめられる澪を救ったのは、澪が以前いじめていたマリアだった。

いじめのターゲットがマリアから麻綺そして、澪、瑞希と巡回し、再び麻綺へと戻った所で、澪はいじめの馬鹿馬鹿しさに呆れ、漸くいじめが消滅。
めでたしめでたし。気分良く夏休みに突入。

黒川芽以の「アルイテク・・・」をBGMに澪たちの夏休みシーン。ビキニ姿で海で戯れ、夜は浴衣で花火…夏休みを満喫模様。丸でハーフタイムショー。大層楽しい夏休みが描かれていたけど、ボロクソいじめたり、いじめたりしてた者同士があんなに直ぐに仲良く成れるものなのだろうか?

予想外にいじめが早く片付いたので、これ、もうエンディングテーマ?かと思ったら、後半戦があった。
いじめが無くなり一件落着かと思ったら、今度は、ろくでなしの担任女教師加藤茜と生徒達の前面対決が始まる。
澪がコンビニで加藤が万引きする姿を目撃してから、加藤の澪を口止めする為のいびりが始まるのであった。


黒川芽以の抜群の演技力にはただただ感服するばかりだ。
中でも笑いながら泣くシーンは映画史上に残る伝説の名シーンと云って良いだろう。
或る日、澪が登校し教室へ入ると、澪の机に菊の花と澪の写真。クラスメート達による葬式ごっこが始まった。
余りの酷い仕打ちに澪は絶笑しながら号泣。この演技力には圧倒された。竹中直人の持ちネタ「笑いながら怒る人」を超える大技「笑いながら泣く人」だ。

印象的だったのは、加藤茜先生。こんな先生いないだろ!ってなキャラ。如何見てもAVの女教師風の出立ち。何でこの人、先生やってんだろってな感じ。コンビニで万引きしたところを澪に目撃され、口止めしようとネチネチと攻撃する。
万引きも初めてじゃなく常習犯じゃないのか?と疑念を持ったが、万引きの経緯に就いては一切描かれていなかった。

加藤は澪を攻め立てるが、クラスメートは皆澪の見方であった。総スカンを食らった加藤は、辞職する事に…。
体育館で加藤が、辞職の挨拶を始めると、生徒達から辞めろコールの大合唱。
澪が「辞めればそれで済むと思ってんの?違うんじゃない?謝るところが」と指摘すると、加藤は豹変。
「万引きしたよ!万引き!」とブチギレる。「謝れば気が済むんだろ!」と開き直る加藤に澪は「私にじゃなくてお店に」と冷静に答える。
澪は加藤に付き添い店に謝罪しに行く。澪と加藤は和解し一件落着。
何故万引きしたのか?一切描かれていないのが気に掛かった。これって心の病!教師と云う立派な職業に就いていながら、コンビニでちっちゃな万引き。この先生、ただならぬ歪んだ過去を持っていそうだ。澪が片親である事を挙げて攻め立てたりするし性格的にも欠陥がある。加藤茜先生スピンオフで「問題だらけの女教師」をやって欲しい。

もう一つ印象的だったのが、澪の父と父の再婚相手の桃花さん。穏やかで心優しい二人であるが、何処か間が抜けていて、澪の事など丸で理解していない。所謂“天然”な感じが憎めないキャラだが…。
或る朝、桃花さんが澪に弁当を作ってあげた。其の日、澪は加藤に片親である事を攻められ、憤慨し机を蹴り倒した勢いで弁当箱を割れってしまう。帰宅し、桃花さんに弁当の感想を訊かれると、澪は正直に食べてないと答える。翌朝、食卓には朝食と500円玉一枚が置かれていた。弁当を作ってあげるより、買って食べて貰った方が良いであろうと云う桃花さんの気配りであった。其の後、澪は630円で弁当箱を新たに買う。翌朝からも連日ワンコインの桃花よろしく500円玉が一枚食卓に置かれていた。ワンコイン攻撃を阻止すべく買い換えた弁当箱は其の後どうなったのかは描かれず…。

この映画、水泳の授業シーンから始まって、いじめたりいじめられたり、そして、いじめも解決。夏休みに入り、夏休みが開けて、父親の再婚。教師とのトラブル。そして解決。衣装が終始制服は夏服。
と云う事は、中三の一夏にいじめあり、父親の再婚あり、教師とのトラブルありで、澪にとって真に波乱万丈の夏であったと云う事になる。「問題のない私たち」と云うタイトルとは真逆の問題だらけではないか!と横槍を入れたくなってしまうが…。結果的に全て落着しているから、終わってみれば大して問題でもなかったと云う事になるのか。「問題のない私たち」と云う命題された真意は不明だが…。何れにせよ粋なタイトルだと思う。

前半は陰湿ないじめシーンが頻発、後半は生徒と教師とのいざこざ。この映画、暗く悲しい映画かと思えば、
コメディ映画か?と思わせるようなシーンもある。シリアスも笑いも紙一重。澪が笑いながら泣くシーンや加藤先生がブチギレるシーンは、笑っていいのやら泣いていいのやら…。途中、出席を取るシーンで、「あいかわしょうこさん、あいだみつこさん…」って云うシーンは完全な悪ふざけとしか思えなかったから、澪の笑いなが号泣、加藤先生大激怒も笑いを狙ったのではないかと邪推する。

全体を通して、印象的なシーン満載で、飽きる事が無かった。主演・黒川芽以の魅力を見事に引き出したと云う点で「問題のない私たち」を映画化した意義があったと云えよう。
黒川芽以の演技の素晴らしさ。これはもう絶賛したい。
新谷麻綺を演じた沢尻エリカ、潮崎マリアを演じた美波のインパクトも抜群だった。





映画を観終わり、原作が気になったので、そちらも読んでみた。
原作者は当時現役中学生だった牛田麻希。
映画は漫画版を元に、漫画は小説版を元に作られたようなので、其々相違点があるようだ。
漫画版は読んでいないが、機会があれば読んでみたい。ジャンルが少女漫画だから、何となく手が出辛い。

原作小説を読んでみると、「潮崎マリア」が漢字で「潮崎真莉愛」となっている。
映画で潮崎マリアは最後まで、澪の傍に居るが、小説では潮崎真莉愛は突如姿を消し、転校してしまう。
映画では鈍感なおとぼけキャラで頼りない父親が、小説では割と物分りのよい人物と云う印象がある。

小説では、澪の夢の中に潮崎真莉愛が登場し、聖母マリアも同時に登場する。幼い頃に死別した澪の母親の名が「真莉愛」、旧姓は「潮崎」であった事を父親にから聞かされ、母親が潮崎真莉愛と同姓同名であった事を知る。
澪にとって、母親も同級生の潮崎真莉愛も何処か神秘的で澪を正しい方向へと導き出す救世主的な役割を果たす人物として描かれている。
澪は生まれて直ぐに母と死別しているから実質として母を知らない、其の所為か母の存在を神秘的なものとして見ているのだろう。其れが聖母マリアとして夢の中に現われたのだろう。


小説を読み進めて行って、残りページが少なくなり、思わず、あれれと思った。
加藤先生の万引きシーンが描かれていない。桃花さんのワンコインシーンも…。映画では、スクール水着、ビキニ、ブルマ、浴衣…と色々あったけど、其れも無い。あれは監督の趣味なのかな?漫画版には描かれているのかな?




キャスト・スタッフ

笹岡澪…黒川芽以
新谷麻綺…沢尻エリカ
潮崎マリア…美波
施川瑞希…森絵梨佳
松野綾…小松愛
校長…浜田晃
加藤茜先生…野波麻帆 
松下桃花…大塚寧々
笹岡文成…勝村政信

監督・脚本…森岡利行
原作…牛田麻希・木村文
音楽…奥野敦士

挿入歌…黒川芽以「アルイテク・・・」
エンディングテーマ…junior size「青いナイフ」

公開…2004年2月28日
上映時間…98分






宗方姉妹



宗方姉妹』は、古風な姉・節子(田中絹代)とモダンな妹・満里子(高峰秀子)と云う対照的な姉妹を描いた作品である。
姉は着物、妹は洋服と服装にも対照的な性格が現れている。
登場人物其々に慎ましい人間性が感じられる。

特に印象に残っているのは姉妹が口論する場面だ。
古風な姉に向かい「お姉さん、古い!」と言い捨てて二階へ上がる妹・満里子、「古い」と言われた事が、聞き捨てならないと思ったのだろう、姉・節子は妹の後を追いかけ2階へ。
「私ってそんなに古い?」と切り出す。
―― 私は、古くならない事が新しい事だと思うのよ
   本当に新しい事はいつまで経っても古くならない事だと思うのよ
   あんたの新しいって事は、去年流行った長いスカートが今年は短くなってる事じゃないの
   皆が爪を赤くすれば自分も赤く染めなきゃ気が済まないって事じゃないの ――
と毅然たる態度で満里子を叱責するのであった。
単なる姉妹喧嘩ではあるが、何だか未来を暗示するような感慨深い台詞のようにも思えた。
満里子はこの言葉を直ぐには受け入れられなかったようだが、後日、バーで酔っ払い、同じく新しいもの好きの前島に向かい、「新しいって事はねえ、いつまでたっても古くならないって事なんだ」と口にする。余程この言葉がきいた様子が窺える。

二人の父・宗方忠親(笠智衆)は京都で静養中。終始穏やかで、性格の違う娘たちを優しく見守っている。
終始穏やかと云えば田代宏(上原謙)もまた穏やかで何事にも動じずにやけている。やさしい性格なのだが、優柔不断にも見える。
宏は節子の友人であるが、互いに好意を持っていた。しかし、互いの思いを口にする事はないまま。
宏がフランスへ行っている間に、節子は三村亮助(山村聰)と結婚。しかし、夫婦生活は順調とは云えず。夫・三村は失業中、節子は働きに出て、家計を支える忍苦の生活を余儀なくされる。
失業中の身でありながら一向に職に就こうとしない義兄を満里子は酷く嫌っていた。
満里子は節子の昔の日記を盗み読み、宏に好意を持っていた事を知る。
姉は其れは過去の事であり、今はそんな気持ちはない事を断言するが、満里子は節子と宏が未だ互いに惹かれ合っているに違いないと見て取る。

満里子は姉をだらしのない夫と別れさせ宏と一緒になるように説得を試みる。
姉の幸福を願うが故の行動であろう。

三村と節子の夫婦間に亀裂が生じ、遂に三村は節子に暴力を振るう。
節子はじっと涙を堪え「別れます」と満里子に断言した。
其れに対し満里子は「あんな奴となんか別れて良い!お姉さん、勿体無い!」と大泣きする。常に姉妹が対照的に描かれているのが特徴的だ。
姉妹は性格こそ違うものの妹が姉を思う気持ちが人一倍強い事が伝わって来る感動的なシーンだった。

暴力を振るわなければ、未だ三村には同情の余地があったのだろう。しかし、この暴力を期に節子は離婚を決意した。

後日、三村は、仕事が決まり地方へ行く事になったと報告した。何時になくご機嫌な面持ちであった。其の夜、三村は一人遅くまで飲み歩いた。豪雨の中、びしょ濡れで帰宅すると、突然倒れ、帰らぬ人となった。
自責的に自らを破滅へ追い遣ったかのようにも思える。
三村は何故、職に就き再出発する事を拒み続けたのだろう。
恐らく三村の心中では得体の知れぬ未知なる不安や恐怖、罪悪感が増大し、如何する事も出来なくなってしまったのだろう。
端から見れば、職を探して仕事をすれば良いだけの事だが、三村にとっては其れ程、容易い事ではなかったのだろう。
前へ進む事を拒めば拒むほど恐怖感が増大して行き、尚更前へ進む事が出来なくなる。
行き場を失った男は自ら破滅の道へ進む他無かったのだろう。
仕事が決まったと云うのも嘘だったのではないかとも読める。

節子はショックを受け、夫の死を訝った。
節子は、三村が普通に死んだとは思えない。暗い影が離れないと口にした。

夫の突然の死によって、解放されたと云う喜びは節子には無かった。
夫の死がより一層節子の心に重荷を背負わせていた。
そして宏との再婚を断念するのであった。

別れを告げる節子に対し宏は、いつまでも待つと告げる。

そして、節子は宏と別れた事を満里子に報告した。
気持ちが済まなかった。自分に嘘を付かない事が大事だと思った。と節子は毅然と話した。
「お姉さん、昔からそんな人ね」と満里子は姉の出した答えを受け受け止めるのであった。


宗方姉妹』(むねかたきょうだい)(1950年)

監督… 小津安二郎 / 原作…大佛次郎(朝日新聞連載『宗方姉妹』より) / 脚本…野田高梧/小津安二郎 / 撮影…小原讓治 / 照明…藤林甲 / 録音…神谷正和 / 音楽…齋藤一郎 / 美術…下河原友雄 / 編集…後藤敏男
出演… 田中絹代(宗方節子) /高峰秀子(満里子) / 上原謙(田代宏)/ 高杉早苗(真下頼子) / 笠智 衆(宗方忠親) / 山村聰(三村亮助) / 堀雄二(前島五郎七) 他



二つの『大島渚』

絞死刑』(1968年)と云う映画をふと思い出した。
1958年の小松川女子高校生殺しで処刑された朝鮮人青年をモデルにした作品で、若しも、この朝鮮人青年の処刑が失敗して、この青年が生きていたらと云う想定をし、フィクションを作り出した社会派の映画だった。
「絞首刑」ではなく「絞死刑」。
死刑に関する映画を作ると云う意識を前面に出すと云う意味で、「死」と云う字を使い
「絞死刑」とされた。然し、単純な死刑テーマの作品ではない。

監督は大島渚。
大島渚と云うとクイズの回答者やバラエティー番組に出演するタレント、或いは朝生で「バカヤロー!」と叫ぶ文化人と云う印象しか持っていなかった。
監督とは云うもののどんな映画を撮っているのやらと疑問だった。
然し、大島渚の映画を観てみると、映画監督としての偉業が感じられる。
初めて「映画監督だったのだ」と思わせてくれる秀作を残している事を知るのだった。
大島渚作品は『愛と希望の街』(1959)、『夏の妹』(1972)然して、『絞死刑』(1968年)の三作品しか観た事がないが、どれも観応えがあって気に入っている。他の作品ももっと観てみたいと思ったのである。



右斜め上 これは私が中三の時に買った「大島渚」と云うバンドのCDである。大島渚監督の作品ではない。
以前、「イカすバンド天国」と共にバンドブームが巻き起こった。大島監督も審査員として何度か番組に登場した。
平成元年(1989年)2月11日に始まった「イカすバンド天国」略称“イカ天”はアマチュアバンドのコンテストだった。同年6月24日の放送に出場したのがみうらじゅん率いるバンド「大島渚」だった。
「カリフォルニアの青いバカ」と云うオリジナル曲を披露し、審査員特別賞とベストコンセプト賞を受賞した。
“イカ天”出場だけが目的だったと云う彼等だったが、話題を呼び、ライブ活動やCD発売と活動の幅を広げて行った。
当時“イカ天”は毎週欠かさず見ていた。趣味でギターを始めたばかりの頃だったので、こう云った勢いのあるアマチュアバンド達からは沢山の刺激を受けたのだった。


話を大島渚監督に戻す。
大島渚監督作品をもっと観てみたいが、残念な事に近所のレンタルビデオ屋には『戦場のメリークリスマス』や『御法度』は置いてあるが古い作品は置いていない。真に残念だ。


晩春 / 小津安二郎



小津安二郎監督の映画『晩春』は1949年に公開された。 出演は笠智衆、原節子、杉村春子…と云えば、小津映画常連俳優である。 ストーリーは極めて単純。娘が結婚へ至るまでの父と娘の心情や心境の変化を淡々と描いている。

『晩春』は過去に5,6回観ている。小津安二郎監督作品で最初に観たのはこの映画だった。
15年程前だったと思う。特に理由も無く、レンタルビデオ屋にあったのを借りたのがこれを観る切っ掛けだった。
初めて観た時は、淡々と話が進む内容に退屈を覚え、さして感銘も受けなかった。私は当時、ホームドラマのような普遍的で退屈な内容のものは嫌いだった。ドラマチックと云うように、より“劇的な”作品を望んでいた。
フェリーニやキューブリック、デビット・リンチなどに傾倒していた時期だったので、其の時に小津安二郎は余りにも刺激が弱過ぎたのだ。
其れから、2,3年して、刺激的な映画も私の中で飽和状態となり、倦怠に入った。其の時、もう一度小津安二郎の『晩春』を観直したら、何故か、強く心に響いたのだった。何と云っても、笠智衆の淡々とした父親役が素晴らしいと感じるようになったのだった。
小津作品は決して難解な内容ではない。解りやすいホームドラマだ。年老いた父親が、婚期を過ぎた娘を嫁に送り出すと云う極めて単純なストーリーなのだ。私がずっと好んで来た刺激的で難解な映画とは正反対にあった。
私はずっと究極の映画とは如何なる作品か?と考えて来た。
映画を面白くしようと考えると、何かと着色し勝ちだ。
ドンパチやったり、人が殺されたり、若くして病死したり、シベリア超特急に乗ったり、波乱に満ち溢れ、何かと事件が起こる内容にすれば、刺激を増大する事が出来る。色々な要素を詰め込めば内容が構築されてしまう事に危うさを感じる。取って付けたような刺激物や奥の浅い感動ドラマはいらない。
そう思った時、小津作品に回帰した。小津作品に触れて、初めて、これこそ究極だと思った。何も大きな事件も起きなければ、強い刺激も無い。
親と子と云う極めて身近な関係の中で其々の心境を描いている。
一見、退屈で何も無いような作品に見えてしまい勝ちだが、じっくり観てみると実に色々な事が詰まった作品なのだと感じた。だから、5回も6回も観てしまう。

中でも印象的なのは終盤の父・周吉(笠智衆)が娘・紀子(原節子)に淡々と語るシーンだ。
紀子は寡男(やもお)の父を一人残して、嫁に行く事に躊躇する。年老いた父の事を想い嫁に行かず、ずっと父の面倒を看ようとまで考えた。
紀子は父への不安、結婚への不安、胸に詰まった思いを吐露する。
そんな娘に対し父は極めて冷静に諭す。

「結婚したって初めから、幸せじゃないかも知れないさ。結婚していきなり幸せになれると思う考えが寧ろ間違ってるんだよ。幸せは待っているものじゃなくて、やっぱり自分たちで作り出すものなんだよ。結婚することが幸せなんじゃない。新しい夫婦が新しい一つの人生を作り上げて行くことに幸せが生まれるんだよ。それでこそ、初めて本当の夫婦になれるんだよ。互いに愛情を持つんだ互いに信頼するんだ」
其の言葉に背中を押されるように紀子は決意を固めた。
「我がまま言ってすいませんでした」と、とても素直になる。

映画やドラマとなると、何か特別なものを描きがちだが、小津安二郎は極めて日常的なものを題材にしている。普通人を扱い現実的普遍性を見事に描き抜いた小津安二郎はつくづく偉大だと思う。


 

一寸驚いたのは、父の周吉の年齢は56歳。笠智衆は1904年生まれであるから、この『晩春』の時(1949年)の年齢は45歳なのである。



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